エッセイ」カテゴリーアーカイブ

「ハングリー」な気持ち②

「ハングリー」な気持ちを感じる場面を数えると、つい人と比べて複雑な気持ちになったりする以外にも、
なんとなく羨ましくなったり、自分にスパルタを課してみたり、あるいは気持ばかりが先走ったり、
ハングリーにも色んな種類がある。
そして実は、それらの気持ちは最終的に全て、「自己実現欲求」のようなものに繋がっている様に思える。

だからこそ「羨ましい」という気持ちが生まれ来るんだろう。
本当は自分がそうなりたい対象で、尚且つ自分がそうなれていないものになれている誰かがいたとしたら、
そりゃ黙っていられないはずなのだ。

『羨ましさは本当は自分がそぉなりたいからなんだ。
そんな自分が嫉妬するブスに終わらない様に出来ることはやってみる!だってやりきったら納得できるもん!』
(7:07 – 2013年9月10日 )

そう。そこでもし、結果がどうなるかはわからないとしても、出来る事がありそうならまずやってみる事。
勿論、叶えば一番いいけれど、良い結果にならなかったとしても多分、なにもしなかったよりは満足すると思う。

一番良くないのは、このツイートにある通り、やろうと思えば出来たであろう事すらせずに、
何もしない為の言い訳に終始して、いつの間にか機会を失い、なりたかった自分になれている、
あるいは形は違えど何らかの形で自己実現している他人に嫉妬し続ける余生を送る事だと思う。
間違いなくブスになる。どんなに美人でもイケメンでも、絶対に醜くなる。そんな風にあと何十年過ごしてたら不幸じゃないか。
ハングリーさは持て余すとだんだん、自分の中で焦げ付いて来る。だから、燻ってないで何かしら行動するのが大事なんだ。

少し話は逸れるが、人間の三大欲求のほかにもう一つ、創作欲求というのを私は持っている。
私は、というか、創作活動をする人はきっと創作欲求含めて四大欲求の人が多いんじゃないかと思う。
これもある意味でハングリー精神の一種だ。

どんな風に出てくるかというと、食欲の様に欠乏感が出てくるのとは違うし、
睡眠欲の様に生命の危機を感じるようなのとも違う。もしかすると性欲の親戚かもしれない。
ちょっと下品な言い方をすると「出したい」。
自分の脳内なり、心の中なんかに、何かを外に向かって表現したい、
つまり「出したい」という欲求が放っておくと天然温泉の様にどんどん湧き出てくるから仕事に集中出来なくなったりして大変だ。

ただ、創作欲求の難しいところは、そのまま出すだけじゃ作品にならないところで、じっくり出てきた欲求と向き合って、形にしていかなければならない。この作業に結構時間と労力を要している間に、また次の創作欲求(アイディアと呼ぶのが良さそう)が出てきて作品化が追いつかず、以下のツイートの様になってしまう。

『私は多分熟れた果実の様に創作欲求をもて余してる。はやくジャムになってしまいたいと想いながら、そのまま委ねるわけにはいかずに結局自分の手をベタベタにしながら煮詰めるしかないのね。』
(7:18 – 2013年9月27日 )

そうだ。もし、寝て起きたら仕上がっていたなんていうものならばどんなに楽なんだろう。勿論、ごくたまにそういう事もあるけど、大抵は無理な話だから。
でもそれくらいアイディアが出てきてくれるのは創作をする者にしてみればこれ程有難い事はない。あとはもう少し処理速度が上がれば言う事なしだ。。。。。

色んな形で時々噴出してくるハングリーな気持ち。
それを醜いから、カッコ悪いからと抑圧したりせずに、「そう感じる時もある」と自分で受け止める。
以前はもしかしたらそれが出来ていなくて、「自分が未熟だから」とか「根性がないから」と、
反省のような生産性のあるものじゃなくて、根拠もなくただ自分を責めるだけだったかもしれない。
そこからは何も生まれる事はなくて、嫌な気持ちが未解決事件の様に気持ち悪く残っただけ。
しかも、自信を無くすというとんでもないおまけまでついていた。

主に酔っ払った時とは言え、ツイート上にそんな書き込みが現れる様になったという事は、
少しずつハングリーな気持ちを受け止める、認める事が出来るようになったのだろう。

『実はここまでがんばりたくなれるのって悔しい思いばかりしてたから100倍返しだ!って気持ちがあるためなんだ。良くできてるよなぁ。』
5:04 – 2013年10月4日

『すごいなぁと思うと同時にちくしょーと思うのは正常反応。負けたくないからこそそぉ思うんだよね!』
5:19 – 2013年10月4日

「アイアムハングリーって堂々と言える人は必ずや強くなる。』
5:21 – 2013年10月4日

よく分かって来ているじゃないか。「正常反応」だと言えるまでになっているなら、大丈夫。きっと「ちくしょー」を糧に100倍成長していけると思いたい。
ちなみに、「100倍返し」というのはこの頃流行っていたドラマ「半沢直樹」の名台詞である。

今の私は随分と負けず嫌いだけど、最初からこうだったわけじゃない。
少し前に書いた様に、悔しさや嫉妬なんかのマイナスな感情に向き合って、
認める事が出来るようになった時から、マイナスの感情を糧にしていけるようになった。
感情は出てくるのは仕方ないのだから、
たとえ出てきた感情が「死にたい」「殺したい」でもそれは「ああ死にたいんだな」「ああ殺したいほどムカついたんだな」でいいんだ。
それを行動に移すのはダメなのであって、感情が出てくるのは「眠い」「お腹減った」「トイレ行きたい」と同じなのだから。

ただし、過ぎたるは何とかという様に、限度を超えると大変だ。変にハイになって来たり、
他人にまで要求が増えて来たら一度冷静になる必要がある。

『逆境がもはや怖くない。どんどん来いとは言わないけど遂にこんな風に思えるところまで来たんだ。』
(5:09 – 2014年2月4日)

まずこっちはやたらとハイになってたかもしれない。
が、あながちそれだけではなくて、多
分何らかのそれまで超えられなかった壁を乗り越えた達成感を覚えた日だったんだろう。これだけ強気になれるという事は。

これはまだいいとして、気をつけないと危険なのは次のようなツイートが出る時だ。

「もう少し頑張りたいけど、自分に厳しくなるあまり他人にまで厳しくなるのは本末転倒なのでもう寝ますかな☆君を愛するために僕自身を愛する。これは間違ってない。」
(6:37 – 2014年2月5日 )

「もぉなんかハングリーすぎてどうしようだ。努力してもしても満足しなくて自分いぢめちゃうぅ」
(6:54 – 2015年11月21日)

一つ目のツイートの一人称がなぜ僕なのかはあまり気にしないで欲しい。
だいたい、私の書く詞は半分くらいが、一人称が僕になっているのだから。

努力しても満足しない。これは手ごたえを感じられていないか、
もしくは理想がより高いところにあって、手ごたえを感じつつももっと努力が必要なのかどちらかの場合が多いと思う。

多分まずいのは、手ごたえを感じられてない場合に、きっと努力の仕方や努力する方向が間違っているんだが、そのままただがむしゃらにやり続けて拗らせて悪化するやつ。

理想が高いので、という場合にも、
いつになったら追いつけるのかと言う果てしなさと共にあるような下手したら絶望感スレスレの焦りで消耗するループにハマると、
疲れてしまうのでやはりまずい。

今もそんなに出来ているとは言えないけど、
こういうツイートが出てきそうな状態になった場合は、
努力してもダメな感じのダメがなんなのかを冷静に見つけるために一度休め。

あと、無闇矢鱈と「誰かみたいに」なろうとしていないかどうか。
悪い事じゃないけど、
自分の良いところをなくして誰かみたくなろうするよりもなりたい自分になる方がずっと早い。

ここまで沢山のハングリーなツイート
拾ってみたが、よくよくツイートを追って行ったらそんな気持ちにしてくれる存在ってものすごく身近に居たのだという事に気づかされる。

『弟ピアノ、妹ギター、私歌ってる。これでセッションだったら最高なんだけど、各人がバラバラに好きな事してるからすごいカオスな状況(笑)
』22:56 – 2015年11月21日

『変な話弟妹の練習のストイックさに焦せらされた。
』23:41 – 2015年11月21日

『人に見せられる演奏のクオリティの追求、その基準を恐ろしく高いところに持っている弟を見た事が今回の帰郷で一番私のためになった気がする。弟に感謝しとくわ。
』5:21 – 2015年11月22日

努力するモチベーションを保つ為には何かしら刺激があると非常に良いが、そういう意味で私はわりと良い環境にあった。。。

3.ハングリーな気持ち①

(※画像は・・・そういう意味ではありません(笑)これまでの内容と打って変わってここから少し難しくなりますが、
特に意見などを求めているわけではないのでお気楽によんでください)

音楽活動をしていると、楽しい事が勿論多いけれど、それ以上に沢山大変な事がある。
お気楽にやってるならまだ良かったんだろうけどそう言うわけじゃないから尚更だ。

ライヴをはじめ、様々な活動を続けて行く中で、嬉しくなる事もあれば、絶望レベルに凹んでしまう事も少なくはない。
あまりネット上に愚痴を書いたりするのは良くないと思ってはいるが、
愚痴ではないにしてもそれに近いツイートをしてしまう事はどうしてもあるのだ。
特に飲みながらツイートしていると抑制が外れてすごい情報量の言葉を垂れ流していたりするから恐ろしい。

『わかるんだよなあなんか。誰も光になりたいって思ってる。
自分よりも眩しい光を見ると、だめなんだなあって自分が無価値に思える。
そうじゃないんだよなぁ。 比べるからいけないんだよなあ。』
(5:14 – 2013年8月9日)

恐らく何かしら、自分よりも優れた存在に出会ったか、コンプレックスを刺激される様な事があった時のツイートだろう。
そうなのだ。
実は光と影というのは相対的に見てどちらがより明るいか、暗いかの対比だったり、
光が射すと必ず何処かしらに陰ができるもので、
表裏一体となっているし、個別に見れば優劣なんて関係ないのだ。

私にとっての「眩しい光」となるものは大抵、
幼少期の嫌な思い出や中学生くらいの時の体験に端を発している気がする。
ここでその詳細を書くと、だいぶ流れを逸脱してしまいそうなので、
詳細にはまた機会があったら書く事にする。

幼少期、だいたい幼稚園くらいから、中学生くらいまでの私は、今とは全然違ったキャラだった。
というか、素質の部分は何も変わっていなくて、
今の様に自由になれず、自分自身でいる事が全くできていなかった。
もともと内向的で幼稚園や学校の様な大人数を基本とする集まりの中に入っていくのが苦手だった事もあって、
幼稚園の頃は登園すると一言も喋らなかったので、だいぶ先生を困らせていたらしい。

家に帰ると打って変わって開放的になるし、
当時から通っていたピアノ教室では試験や発表会でも
「緊張」という言葉が辞書にないくらいの度胸の持ち主だったにも関わらずだ。
(単純に鈍感だったのかもしれないが)

そんな風に大人数の中に上手く入れずに浮いてしまいがちだった事が多くて、
いつの間にか「自分は周りに受け入れてもらえない」と感じるようになっていた。
浮いてしまう自分はなんか劣っているというか、ダメなんだろうなと。

だから、クラスの中心にいる様なキャラを持っている人に出会うと
「うわっなんか眩しい」という具合に拒絶反応が出てしまう事があるんだろうと思う。
いわゆる「人気者キャラ」とか「愛されキャラ」ってやつだ。
音楽活動に置き換えるとやたら愛想良く物販で色々売ってたりが出来る子とか
。それを仮に真似しようとしたところで不自然になるのでどちらかというとMCで笑いを取ったりする方向で今に至る。

本当は「眩しい」と思っているそれって、種類は違っても必ず自分の中に存在しているんだと思う。
誰の中にも必ず。
それをちゃんと引き出せるか、抑え込んで閉じ込めてしまうのか。

自分に対して「彩葉永華」という名前を与えてはじめて、
私自身の中に存在する光はちゃんと引き出せるようになった気がしていて、
その為か変な話、本名の自分よりも彩葉永華の方が本当の自分の様に思えてくる事がよくある。

抑圧的にしていた=周りを気にしたり引っ込み思案で自由になれない自分を解放する存在が彩葉永華なんじゃないかなと今も思う。
だから社会的に必要がある場面以外ではわりと、彩葉永華で通っている場面が多くなっている。

※このエッセイ集「翌朝、記憶にないツイートで埋まっている」に関する前書きはこちら

2.飲酒の変遷②~翌朝、記憶にないツイートで埋まっている~」

このエッセイ集「翌朝、記憶にないツイートで埋まっている」に関する前書きはこちら

そんな私も遂に、大人なお酒の嗜み方を覚えてきたらしい記述が2013年の終わりくらいに見つかっている。

『ソムリエナイフでワインのコルクあけられるようになった(*^^)vいぇいいぇい!』
(5:50 – 2013年12月13日 )

異常に喜んでいやがる。おめでとう。
確かに、ソムリエナイフ1本でワインを開けるのは若干のコツが必要でスマートに開栓出来た日には
ちょっとだけバーテンになったような気分になれた。
これで私もいい加減に大人なお酒の嗜み方を覚えた!と思ったが実際にはそう簡単には変わるもんじゃなかった。

『おおお!ワイン1本空けてしまった!明日はオフだからいいんだけれど。
twitterしながら飲んでると、なんか飲み会に行ってみんなでわいわいしてる気分になっちゃうんだよね~』
(6:30 – 2015年6月6日)

おいおいおい、このハッチャケ加減。。。
ソムリエナイフでのワイン開栓に成功してから一年半経ってもなお、変わらないところは変わらないのだった。

そのハッチャケた勢いで一体何を呟いてるんだか全く。。。

『そうだな。見かけによらず酒豪ってので面白がって可愛がってもらってるうちに(アイドルの方には失礼かもしれませんが)
「酒豪アイドル」みたいになってたんだな(笑)
もし酒豪が体に悪いからセーブしたとしても、またいろんな面白いところ出てくる気がしてる^^2015年は上品にエロくなるかw』
(6:51 – 2015年6月6日)

ダメだダメだ。宅飲みですらこうなんだから、いくら私が飲むと面白いからって大酒を与えてはいけませんって!
でも実際は、言うほど酒豪ではない。
本当の酒豪だったら、多分だけど日本酒4合くらい飲んでも平気じゃないかと思うけど、私はそうはいかない。
意外と適量より少し多いくらいでちょうど良かったりす?。ただ、楽しくなっちゃうし笑い上戸だからやたら面白がられているみたいなのだ。

そして…

『酒豪アイドル=略して酒ドル・・・酒樽!?よし、ビア樽ポルカみたいな酒場チックな曲作ろ♪』
(6:56 – 2015年6月6日)

かくして、後に彩の酒場のテーマとなる「酒場のうた」が誕生するのであるが…少なくとも彩葉永華はアイドルじゃないだろ。
アイドルに失礼だからやめなさい。
そしてやたらと真面目に弁解する始末。

『そういえば、飲み会で楽しくなると、ついいろんな人に自分から絡みに行くんですよ。多分、もとが人見知りなんでその反動かと。だから、いきなりtwitterで絡んだりするかもしれないですけど、仲良くしてもらえたら嬉しいです。』
(7:20 – 2015年6月6日)

綺麗にまとめやがって。実際に、飲みながらTwitterいじってると、タイムラインに出てきた久しぶりに見る人なんかに結構絡んでたりしてるわけだ。

翌日Twitterを確認して見ると、時々相手が反応に戸惑うようなリプライをしてしまっている事があってかなり反省している。

『もし変なリプライしてたり意味不明な絡み方してたらごめんなさいm(__)m
』(13:28 – 2015年4月16)

これに対して、友人達から「何も問題はない」「面白かった」という反応が貰えたのでかなり救われた事が何度もあった。

甘いカクテルやチューハイとワインを経て、私の飲酒はどんどん贅沢なものへとエスカレートして行き、遂にスパークリングワインにハマるという困った事になってしまった。

結婚式やらパーティーなんかで美味しいスパークリングワインを知ってしまったのがいけなかったのだ。その後、自分でスパークリングワインを買ってしまう事が時々起きる。

『少し休憩してスパークる。お酒の中でスパークリングワインが一番好きという超絶コスパ最悪の酒好き。まぁこんなの月一回くらいよ。
』(2:50 – 2015年10月26日)

『スパークる!一本空けやがった私!そして2曲できた!だからプラマイプラスなの!』5:17 – 2015年10月26日

スパークりながら曲を作ってもいるのでまぁ許せるかなと思う。それにしても一本空けるのは飲みすぎだ。プラマイプラスという謎の評価まで出て来ている。スパークリングワイン美味しいもんねぇ、という事で上手く締め括っておこう。

2.飲酒の変遷①~翌朝、記憶にないツイートで埋まっている~

このエッセイ集「翌朝、記憶にないツイートで埋まっている」に関する前書きはこちら

思えば、いつからそんなに飲むようになったのか。
別に20歳になったばっかりの頃からよく飲酒していた訳ではなかった。

むしろ、大学を卒業するまではほぼ飲み会でしか飲まなかったし、
上京して何年かはビールすら苦手で大体チューハイとかカクテルがメインだった。
友人のバーには時々通って居たけど、自宅ではそんなに晩酌する方ではなく、
アイスコーヒーばかり飲んで居たような気がする。

記憶にある限りだと、大体2011年くらいから、自宅でも晩酌するようになったんじゃないかと思う。

その様子が記されたツイートが最初に登場しているのが、2013年9月だった。

『氷結が今日だけ100円とかかなりお買い得なのでケェスで買ってしまおう(^^)』
20:21 – 2013年9月28日

そうだ。
氷結が自宅での晩酌用のお酒として最初の頃に常用し始まったお酒だった。
同じ氷結でも本当に21歳くらいの頃は、ももとかぶどうとか、
比較的甘いやつしか飲めなくて、
グレープフルーツやレモンの氷結はそれから2年くらいかけてやっと好きになれたくらいだった。
今ではすっかりその逆だ。
日本酒やらビールを好きになってしまうと、かえって甘いお酒がダメになったので、
最近ではカクテルをあまり飲んでいない。

とは言えども、甘いお酒ばかり飲んでいたのだって自分で記憶しているよりもずっと最近ではないか。。。

『喘息で禁酒してたら甘いのが欲しくなってラテラテ☆そういや私いつも甘いワインとか缶チューハイとか甘いのばっか飲んでるんだわ(^^)』
(6:40 – 2013年12月2日 )

禁酒中はお茶ではなくてラテを飲んでいたというくらいだからもとい結構甘党だったのだな。
もしこのまま甘い飲み物が好きで居続けたら糖尿病になってしまうところだった。
って言っても日本酒とかビールとか何気に糖分多いからね!

1.きゅうりで死んだ大統領~翌朝、記憶にないツイートで埋まっている~

このエッセイ集「翌朝、記憶にないツイートで埋まっている」に関する前書きはこちら

それまではアメブロなど、ブログを中心として発信をしていて、
Twitterはブログ更新の情報共有などくらいにしか使っていなかったので、
Twitterを始めた2011年頃は、そんなに投稿自体が多くない。

ブログ更新の情報共有や、ライヴ告知の様な事務的なツイート以外の投稿を遡って
最初に見つけた記念すべき迷言ツイートの第一弾は、2012年の10月だった。

早速ここに「おとなじゃがりこ」という謎のワードが登場している。

『おとなじゃがりこ→お酒→じゃがりこ→お酒誘惑、いやぁんやめてぇ~』
(8:46 – 2012年10月17日 )
おとなじゃがりこってなんだっけな。。。としばらく考える。
確かに、その頃じゃがりこシリーズの中に「大人じゃがりこ」的なフレーバーのものがあったような気がする。

じゃがりこは好きなお菓子のひとつで、
今はあまりお酒を飲む時にスナック菓子なんて食べないのだが、
多分その頃はよく、じゃがりこをつまみにしていたんだろう。
まだ酔っ払うどころか飲酒すらしていないが、
一生懸命に飲酒の誘惑と戦った痕跡が残されている。

年明けて2013年2月。
実を言うとここからが、ピアノ弾き語りストとしての本格的な活動開始だった。
それまでは音源(いわゆるカラオケ音源)を使用してのライヴと弾き語りを半々くらいに行って居たが、
どちらを中心にするかまだ試行錯誤の段階だった。
そんな最中なのに、頭の中は常におバカであったようだ。

『相手にポンジュースと10回言わせてから、英語でこんにちははなんていう?
ってきいたらボンジュールと答えてしまうんだろうか?(笑)』
(19:00 – 2013年2月17日 )

まぁ確かにね!
そういうゲームあるんだけどなんでポンジュースなん?
っていうのはその頃、やたらと差し入れでポンジュースを頂いていたからだと思う。

因みに大学ではフランス語を第二言語として選択していたが、
語学の授業に対しての集中力が恐ろしい程維持出来なかった為か、
まともに覚えている言葉と言えば、
「C’est une Orange des Shizuoka.(これは静岡のみかんです。)」くらいという。。。

『なんか流れで静岡の歌作ることになってるんだけどw
出身でないのにそんな大それたことしていーのか私。
でもね、フランス語で唯一覚えた言葉が「これは静岡のみかんです。」なんだよね。』
(5:44 – 2015年2月5日)

ちなみに、応用はできる。
「これは愛媛のみかんです。もしくはこれは和歌山のみかんです。」など。
単純に地名入れ換えただけじゃないか!

もう一つ食べ物ネタがつづく。

『ハマるとそればかり食べるんですがきゅうりばかり食べてます。
きゅうりの食べ過ぎで亡くなったアメリカ大統領の話を知ってるので心配です。』
(6:19 – 2013年3月2日 )

いやいや相当な量食べないと普通はきゅうりじゃ死にませんって(笑)
ちなみにそのきゅうりの食べ過ぎで亡くなったという大統領は本当に存在するらしく、
アメリカの12代大統領、テイラー大統領とのこと。

キュウリと牛乳の摂りすぎで胃腸を壊して亡くなったという説がある。
きっと身体がかなり冷えてしまったんだろうな。
死因がきゅうりの食べすぎは嫌だなぁ。。。

翌朝、記憶にないツイートで埋まっている。~何故か好評な飲みすぎ迷言ツイート集~

◆はじめに◆

私は自他共に認めるお酒好きだ。
飲み会が好きと言うよりもお酒そのものが好きなので、よく自分の好きなお酒を買って来ては自宅で晩酌する。
それはいいのだが、大体自宅で一人で飲んでいたりすると、ある程度飲んで楽しくなってきた頃に、
そのまま言いたい放題をTwitterに書き込んでしまう癖がある。

 幸い、普段からネット上で人の悪口や下ネタ、ネガティブな発言など聞いた側が不快になる様な発言をしない事と、
汚い言葉や下品な言葉は使わない事を心がけているので、
どんなに酔っ払っていてもそのような類の書き込みを投稿してしまう事はほとんどない。

 ただし、よくやってしまうのが普段から思っている事が、
抑制が外れることによってTwitter上に言いたい放題の本音を流出させまくってしまう事態、
または一体どっからこんな発言が出てきたのかと不思議に思う様な、
摩訶不思議なストーリーが展開されているような事態と化している事なのだ。

 あぁまたやっちまったなぁ。。。
その時は楽しくても翌朝、何かとんでもない発言をしてしまったような気がして、
かなり死にたい程恥ずかしい気持ちになる。
Twitterから「いいね」「リツイート」の通知が来るも、
開けて読み返すのが怖くて大抵は夜まで、酷いと次の日まで開けられない。

 それでも、勇気を出して開けてみると大抵は酷い事にはなっていなくて、
書いてある内容は至ってまともな事が多いし、
へべれけで「こんな事書いたっけ?」状態にもかかわらず文章はしっかりしているのでほっとする事がほとんどだが、
さらにいいねが沢山ついて居たりすると嬉しいやら恥ずかしいやらで、
慌てて謝罪ツイートをすることもしばしばである。

 それについて、後日友人と会ったりなんかした時に
「酔っ払っている時の君のツイートが面白い」と割と評判になっている事が分かり、
ふと、「これを遡って自分で突っ込みを入れつつエッセイ化してみたら面白いんじゃないか」と思いつき、
恥を覚悟でツイートの全ログを抽出し、発言文集としてみる事にした。

 ちなみに、実際にツイートとして投稿された文章は、Twitterから抽出したログを参照してまとめているが、
投稿された時間は恐らく反映にタイムラグがあるのか、実際の投稿と同じ時刻にはなっていない。
朝5時とか6時くらいの時間なんて、私がほぼ投稿なんてしない時間だし、このデータは実際と違うと思っていただきたい。

 抽出データは実際にTwitterに投稿し始めた2011年から、
ひとまず今このエッセイを執筆している2018年6月までのものとなっている。
2011年から2013年までは、まずブログを主な発信メディアとしていたので、そもそもツイートそのものがかなり少ない。
なので、2014年以降のツイートが多くなっている。

 これを読んだ方の人生に何か影響を与えるとか、そんな大層な事はできるか分からないが、
暇つぶしにでも読んで、彩葉永華という人の脳内を垣間見て楽しんで頂けたら嬉しく思う。

エッセイ始めます。

Twitterとfacebookとここを両立していると、敢えてこちらに書くことがなくなってしまう。ということが多い。
かと言って、お知らせ系の内容とかライヴレポ以外の内容をわざわざ同じのこちらにコピペするのもなぁと思って、
こちらにのみエッセイ乗せ初めて見る事にしました。
これで更新ストップ防げるかな^^

というわけで、ここから第一弾のスタートです。

もうすぐ誕生日ですが、恥の多い人生を送ってきました。
だから、もういっそのこと恥さらしでもしようかと思います。

詳細な内容は次の投稿にて。