算数だけが嫌いになった

人のモチベーションには2種類あるらしい
「内発的モチベーション」と「外発的モチベーション」だ。
前者は、「自分が興味を持った」とか、「知りたいと思った」っていう自分の内側から出てきたやる気で
後者は「100点取れたらゲーム買ってあげる」とか逆に「勉強しなかったら罰を与える」とか。

思い返すと私は思い切り前者だった。
「内発的モチベーション」だけで生きてきたよなやつ。

小学生の時、中学生の時、ものすごく優等生だった。
それって、塾に行かされたからでも、勉強を強要されたからでもない。
単純に、色んな「まだ知らない事」に興味があっただけだった。
だから勉強は面白かった。

そんな中、算数だけがキライになり始めた。
両親は理系で、算数は得意だから、自分も算数は得意なはずだったのに。
なぜなのか。
思い起こせば、「算数」というものは、数をこなすことで身に着く科目だからか、
やったら宿題が多かった。
特に、小学校4年生くらいから、毎日算数の宿題ばかり多かった。

ここで私は「やらされ感」を感じ始めた。
私は「やらされる」ものが大嫌いだった。
なぜって、私は内発的モチベーションで動く子で、
外発的モチベーションなんかどうでもよい子だったから。

「やらされている」と感じた瞬間、算数をキライになった。
算数は「やらされるもの」と認識してしまった。
それが恐らく、中学でいう「数学」に偏って成績が落ちた原因だった。

さらに塾の数学教師だった母が中学生の私にスパルタ教育をした。
その結果私は成績TOPに上りつめたが、それでますます私は数学を嫌いになった。

才能とは70%くらいモチベーションなのかもしれない。

やらされてキライになった算数、反対されてもなお好きでしょうがない音楽。
できるかできないかよりも、自分がモチベーションを保てるかどうか。
それじゃないかな。

音楽でも嫌な思いをしたことがある
共演者と比べられる、お客さんが来なくて責められる、厭味ったらしく「お前は駄目だ」と言われる

でもなんで続けられるか。もちろん音楽が好きだから。それ以上に音楽を奏でる自分にプライドを持っているから。

数学とおんなじだ。どんだけ繰り返して、下積みして、やっと成果が出せるんだ。

狂っていると人はいうかもしれない。年収の高いリーマンの奥さんにでもなって落ち着けよって言われるかもしれない。
だけど私はそんな人生ごめんなんだ。

「女の幸せ」なんて言われて親に見合いすすめられたけど全部断った。
私、悪いけど母親になりたいわけじゃない。
私、悪いけどそれが「女の幸せ」だなんて思えない。

私の幸せは 私自身を全身で創造すること。

女だからって、定型な幸せを求めてるんじゃない。

叶うなら、私は美術館のヴィーナスになりたい。

そんな娘をもってしまってはづかしかったら申し訳ないけど

私は彩葉永華であるほかないのです。

1件のコメント

  1. 私と違いますね。私は算数が好きだった。だからいろんなことを計算してしまうのです。でもやりたいことはやつた方がいいですね。

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